病は気から。を証明したフィンランド症候群と夕張市における医療崩壊のその後。病気はストレスで起こるのか?

「病は気から」を証明したフィンランド症候群
みなさんは「フィンランド症候群」という言葉をご存知でしょうか?
欧州のフィンランドにおいて、政府保険局がヘルシンキ在住の40歳~55歳の男性で、心臓疾患系の危険因子を抱え、生活習慣が似ている1222人を対象として、15年に渡って行った調査のことです。
その結果をフランスの雑誌が「フィンランド症候群」と呼んだことから、その名が広まっていきました。
調査の内容は、まず被験者の男性を2つのグループに分け、一方には「高血圧対策の投薬や生活指導などの介入」を行い、もう一方には「なにもせずに様子を見守り」ました。
その結果、生活指導の介入を行ったグループの方が、死亡率や心疾患死亡率が高かったのです。
この結果は医学界に大きな波紋を広げました。
きちんと服薬し、生活にも気をつけていた人たちの方が短命とは、なんとも皮肉な結果となったものです。
この調査においては、禁煙や禁酒の指導の質など、指摘される部分は多くあるものの、おおかたの予想を裏切った形で出た結果に対して、「ストレス」による「死」(この場合はタバコ屋お酒などの嗜好品を我慢するストレス)という解釈がなされ、つまりは「病は気から」という考え方の根拠となったのです。
だからと言って、好きな物を我慢しなくてもいいんだ!とか、何もしない方が健康だ、と考えるのは安直すぎるが、高齢化が進む現代において、健康であり続けることの何かしらのヒントが隠されているのではないでしょうか。
医療崩壊の夕張市がその後どうなったのか
実は、フィンランド症候群の結果に近い事象が、北海道の夕張市で起きました。
夕張市は、1960年頃には日本の三大鉱業所を有する、人口10万人規模の大きな炭坑都市でしたが、2007年3月に財政破綻しました。
1970年に差し掛かる頃、エネルギー革命が進み、海外との競合や相次ぐ事故により、国内の炭坑業が急速に衰退していき、夕張市においても例外ではありませんでした。
炭坑の閉鎖が相次ぎ、1990年に最後の炭坑が閉鎖されると、多くの企業が夕張市から撤退していきました。
元々、炭坑の開発に伴って山あいに開かれた都市であったため、平地が少なく、大規模な農業には向いていない土地だったことに加え、炭坑以外の産業が皆無だったこともあって、多く若者が他の都市へ出て行き、人口が激減して急速に高齢化が進みました。
その結果、日本でもトップクラスの高齢化都市となっていきました。
2015年度の統計調査によると、日本全体での高齢化率は26%、夕張市ではなんと48%にもなります。
まぎれも無く、日本一の高齢化都市であり、ほぼ2人に1人が高齢者ということになります。
この結果を見ると、夕張市の高齢化率は相当進んでいると言うことになります。
市内には171床を有する総合病院が1つだけありましたが、財政破綻後はたった19床の小さな診療所のみになりました。
医者もいなくなり、MRIやCTなどの医療機器もありません。
救急病院など、あるはずもなく、それまで39分だった救急車の到着時間は、1.5倍の67分になりました。
医療機関が万全でないということは、そこに住む住民、ましてはお年寄りにとって、大きな不安であったことは間違いないはずです。
しかし、驚いた事に夕張市では、死亡率や救急車の出動回数が下がったのです。
特に、三大疾病の死亡率が顕著に低下し、その一方で老衰が死亡原因のベスト3に入りました。
それまでは、高齢者1人あたりの医療費が年間約82万円だったものが、財政破綻後には約77万円に下がりました。
身近な所に病院が無ければ、なるべく健康でいられるように、生活スタイルや食生活に気を配るようになるのが普通です。
何かあったらすぐに病院へ駆け込めばいいという、安易な気持ちが無くなったことが、夕張市のお年寄り達を変えた、最大の要因だと考えられます。
ストレスは病気の原因となるのか?
フィンランドと夕張市のケースを踏まえて考えてみると、ストレスが病気の原因となる場合もあり得ると言えます。
が、すぐに病院に行く事ができないという不安からくるストレスが、健康を維持しようという気持ちにいい影響を及ぼすことも見て取れます。
「ストレスは万病の元」とよく言いますが、そのストレスを「良いストレス(緊張感)」に転換することで、病気になることを防ぎ、健康であり続けることもできるのです。
最近なんとなく体の調子が悪い…と感じていても、すぐに病院に駆け込むのではなく、病院へ行かなくてもいいように生活スタイルや習慣を変えてみてはいかがでしょうか?
現在問題視されている、医療や介護の財政負担を考える意味でも、大切なことかもしれません。
人間は何が原因で死ぬのか。
気持ち(ストレス)が原因になりうると言うのも、あながち間違いではないけれども、いい意味での原因であることも否定はできません。